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中途半端なヲタから見た世界をぼんやりと綴っていきます。守備範囲はPC、ラノベ、ギャルゲとか。
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今から正論についての正論を書く。
これは正論だからこれが正しくないと思うことは非常識である。


まず「正論」の定義から行う。

せいろん 【正論】 
道理にかなった正しい議論・主張。

どうり 【道理】
(1)物事がそうあるべきすじみち。ことわり。わけ
(2)人の行うべき正しい道。

定義からすると冒頭で言ったことは間違ってはいない。

ただし、道理から外れることは人間社会において多々あることである。
道徳的には正しくないことでも、常識として扱われることもある。
正論に反することを行っても、それが非常識であるとは一概に言えない。
例えば、横断歩道が無いところで道路を渡るのは道徳に反することであるが、常識的に考えれば近くに横断歩道が無く車通りが少ないのであれば常識的には渡っても問題ない。

正論とはいつでも正しいわけではない。
それでは正論ではなくなってしまうが、正論ではない正論がこの世には多々あるのである。
一人一人正論を持っていたら、必ず正論ではない正論が出てきてしまう。
その正論は正論ではないから、正論とはいえない。
前述と矛盾するが、結果的に、正論はいつでも正しいのである。
では正しい正論とは一体何なのだろうか?

世界レベルだと話がややこしくなるので、とりあえずは国家レベルで論ずることにする。

古来の王制の国では王が道徳であり、王が法律であり、王が正論である。
これはとても分かりやすい。
どのような形であれ力を持ち頂点に立つ者が、その下につく者すべてに常識を強制し、従わせるのだ。
このような環境下であれば「非常識」である者が生まれやすい。当然ではある。
そして絶対王政は王がよほど強大な力を持っていない限りは「非常識」に打ち倒される運命にある。

では民主主義の国での「正論」はどうなるのだろうか。
当然ながら、人は平等でも等しくもない。
さらに当然ながら、多少なりとも育った環境が違えば考え方も違う。
そういうわけで、人は様々な「常識」と「正論」を持っている。
しかし、どちらも「同じ」なわけがない。
そうなると、民主主義的な正論の決め方が出てくる。
多数決である。

誰しも正論は持っているものだが、「正論」を正しく言語化できる人は少ない。
だから、とりあえずそれっぽく言語化された「正論」をいくつか羅列し、一番近い正論を選べばどうだろう。
こうすれば、どれが「正論」であるかは一目瞭然である。

・・・一番近い、などとは非常に曖昧だ。
しかし、「正論」を正論とするためにはこうするのが一番手っ取り早いのである。

人は、自分一人の絶対王政であるとも言える。


このように、「正論」「常識」とは、非常に曖昧である。
この世界には、十人十色の常識があり、十人十色の正論があるのだ。(だいぶ矛盾している)
だから、「これが正論」という意見は、正論ではないのだ。
ましてや自分で正論とか言っちゃう馬鹿は、自分だけの王国を作ってそこに住めばいいのだ。
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